横山 拓也

ヨコが引退します…

ヨコに出会ったのは2000年、当時僕は高校3年生、多分ゲーセンでキングオブファイターズ00が流行っていた頃です

暁星高校は小学校、中学校から上がってくる生徒がほとんどなので、高校から入ってくる生徒はかなり少なく、よほど努力しないと入れない中でヨコは高校から入ってきました。

 

そんな中で更に地獄のサッカー部(僕にとっては天国♪)に入ってこようと言うのだから、最初は「辞めちゃうかもな」と思っていました。
しかし、ヨコは辞めるどころかその練習に対する一生懸命さと、プライベートでの几帳面さと時折見せるユニークさで先輩からも同級生からも信頼を受けていきました。

(だから、もっと前の方に乗ってあげなよ!)
僕は卒業したあとも、ヨコのことが気になっていました。
あの身長でサッカーのキーパーが務まるのか?という懸念があったからです。
やはりその懸念とおり、高校3年間控えに甘んじてしまい、理由はやはり「身長」という声が多く聞こえました。
彼にも大学でやりたいことがあると思ったけど、それでもやって欲しい!僕はヨコが引退した直後真っ先にフットサルに誘いました。
しかし、ヨコは意外にも自分がフットサルを選ぶことが運命だったかのように、すんなりとそれを受け入れました。
こうしてヨコのフットサル人生は始まり、僕の予感通り、彼は素晴らしいゴレイロになり、森のくまさん、ボツワナ、フウガと本当にたくさんの公式戦、ワンデイ大会、練習試合をしてきました。
中でも一番思い出深いのが、2006年度のPUMACUPで全国大会出場を決める大一番の直前のアップで内山が目を怪我してしまい、急遽ヨコが試合に出場した試合です。
普段、正ゴレイロが試合直前で怪我をした場合、チームにはかなりの動揺が走ります。
けれど、この試合ではチームには全くと言って良いほど動揺が見られませんでした。
僕がゴレイロに求めるのは何よりも「人間性」、基本的にシュートを止める受け身のポジションだからこそ、失点したあとにこいつのために取り返してやる!そうフィールドプレーヤーに思わせる人間性が必要なのです。
ヨコにはその人間性が備わっていた、と言うよりはトレーニングや普段の振る舞いによって磨かれていたため、この時チームに動揺が走らなかったのだと思います。

そんなヨコがこの度引退します。
彼はプレーヤーとしても素晴らしかったですが、運営スタッフとしても素晴らしい能力を持っています。
現在お付き合いさせていただいている、VOLUME社(ペネトラール)はJリーグともお付き合いがあるとても大きな会社です。
そんな会社の担当者方に、横山さんはJリーグのスタッフの方と比べても遜色ない仕事をしてくれている、と言っていただいたことがあります。
ヨコは自分の仕事をしながら残された少ない自分の時間を使ってフウガの運営をしているのを近くで見てきたので、 こんなに嬉しいことはありませんでした!
僕は本当に嬉しくて、あのときは試合勝ったときより嬉しかったなあ。
そんなヨコだからこそ、今回の引退は「もう出来ない。」と言ったネガティブなものではなく、「新しい挑戦を!」と言うポジティブなものだと思っています。

 

 

これから横山拓也と一緒に行う新しい旅を、僕は心から楽しみにしています!

 

彼となら、たくさんのものを一緒に掴み取り、たくさんの人を幸せに出来る、そう確信しています!

 

それにしても、ヨコはユニフォームに合うなあ・・・

 

One thought on “横山 拓也

  1. たとえベンチ入りメンバーでなくても、いつ何処の会場でもスタンドから声を大にしてチームを応援し、出たら出たで後ろから仲間を鼓舞、ナイスセーブできっちり仕事をする。
    そんなヨコさんのメンタリティーや日々の努力・準備の賜物をいつも尊敬の念で見てました。

    そんな選手がいるから、そしてそんな仲間のありがたさをお互いに分かってるチームだから私はFUGAが好きです♪

    ヨコさんがピッチに戻ってくるのを心待ちにしてたので、引退を初めて聞いた時は正直悲しかったけど、彼の新たな挑戦・これからのFUGAを楽しみに応援します!!

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